潔さを知る

虹

本日も読みに来てくださり、ありがとうございます!

前回は、ぼくらはみんな生きている~というお話でした。

今回は、潔さを知るというお話です。

『潔さ』と聴くと、ものすごく清く正しく美しくというような

イメージを持つ方もいらっしゃるかもしれません。

『清潔』『純潔』『潔白』などという言葉もあります。

なので、きれいさっぱりとか、微塵の汚れも無いような感じにも

受け取れますよね。

植物たちの生き方は、『潔さ』そのものではないかと思います。

後にも先にも、動じず抗わず、何者にもなろうとせず、

何者にも媚びず靡かず、『今』を生き『今』に在ります。

植物たちの生き方から想う『潔さ』とは、臨機応変に変化し

そのままをそのままに受け止め受け流す、自分を信じ周りを信じる。

そんな思い切りの良さや思慮深さ、決して背伸びなどをしない生き方

そんな生き方が『潔さ』かと感じます。

元来、日本人の遺伝子にはこの自然由来の『潔さ』が在ると想っています。

繊細かつ大胆。

遊びを知り粋を知る。

奥深さと思慮深さ。

情感を詠み、情感を愉しむ。

自らを生き、他に生きる。

協調性と、共感力。

和を好み、環を重んじる。

ある意味、『潔さ』とは『あきらめる』コトかも

しれません。

『あきらめない』コトは、とても大切です。

何かを達成する事、カタチを成す事、夢を持つ事。。。

それらもとても大切で大事なことだと思います。

でも、それに成れない出来ない事を悔やみ責めるのであれば

それは違っているかもしれません。

『潔さ』とは、『今』を知る事。

『潔さ』を感じるには、自身を『今』にする事。

『今』を知るには、どうであれ一旦『あきらめる』コトだと

思います。

現状は現状です。

現状がどうであるかをしっかりと知るからこそ、

新たな生き方を構築できます。

現状に悲観したり、現状に不満を持ち、自分を諦めていては

何も知る事も観る事も聴く事も与える事も伝える事も

出来ません。

自身の存在がどうでアレ、自身を持ちたくない感じたくないと

抗っていようがいまいが、どうでアレ存在し感じてしまう。

『潔さ』を知り自分だと『あきらめる』。。。

誰かでも何かでもない、自分自身で在る事を『あきらめる』。。。

『今』を知り感じる事こそが『潔さ』ではないかと思います。

植物たちは、どうであれ『今』を生きています。

よろしくお願いします!

有難うございますm(__)m

 

 

 

 

 

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