本日も読みに来てくださり、ありがとうございます。
前回は、『安心領域を造り過ぎない』というお話でした。
今回は、『出来事への意味付け』というお話です。
生きていれば、色々なモノコトが起こります。
様々な状況や状態にもなります。
『ネガティブ』から『ポジティブ』まで、色々なモノコトが、
起きています。
物質的なモノコトから、精神的なモノコトまで、
どちらにも影響が出る様なモノコトもあります。。。
起きてしまった『出来事』は、無かったコトには出来ません。
見たくなくて、聞きたくなくて、感じたくなくて、知りたくなくて、、、
ずっと無視し続けたり、誤魔化し続けたとしても、
『出来事』自体が消える事はありません。
ヒトは、過去からの『経験』や『記憶』等によって、
それら『出来事』に、何かしらの判断や選択をする為に、
『意味付け』をしています。
『出来事』に『意味』を持たせる事で、判断材料にもなるし、
選択もしやすくなります。
『意味』をつける事で、自分自身の『正当化』や
『優位性』なども手に入れる事が出来ます。
反対に、『ネガティブな意味』を付ける事で、
『被害者』や『弱者』にもなれます。
自分自身を責める事も出来るし、周りのせいにも出来ます。
『出来事』に対して『意味付け』をするのは、
自分に影響のあるモノコトだけです。
自分に関係が無い事には、とても無関心だし、
無責任にもなれます。
完全に『他人事』なので、気にも留めない状態です。
『出来事への意味づけ』
というのは、結局は自分にとっての『メリット・デメリット』を
判断したり、選択出来るようにするための『基準値』なのかも
しれません。
『出来事』は『出来事』です。
そこに『意味付け』をしているのは、それぞれです。
まるっきり同じになる事は、滅多にありません。。。
それほどに、『意味付け』というのは『曖昧』です。
「これしかない!」「こうに違いない!」「だって、、、でも、、、」
「しかし、、、」「つまりは!」「と、いう事は、、、」などなど、
ヒトそれぞれに勝手に解釈するし歪曲もすれば省略もします。
『出来事への意味づけ』
それは、自身の『思い込み』と『勘違い』と『刻まれた記憶』です。
何かしらの変化を起こしたいのであれば、
まずは、『出来事への意味づけ』を変える事を意識しましょう。
意識して『意味』を変えていく事で、自分自身に『変化』が起きます。
よろしくお願いします!
有難うございますm(__)m
コメント