外れて観るには

そら

 

 

 

 

 

 

本日も読みに来てくださり、ありがとうございます。

前回は、『対等と平等の違い』というお話でした。
今回は、『外れて観るには』というお話です。

私は中学の時、水泳部でした。

水の中に潜り、
水の中から空を観るのが好きでした。

太陽の光もまぶしいはまぶしいのですが、
水の膜が在る事で、
太陽も観る事が出来ます。

光の差し込む線や色、、、

空の様々な青・蒼・藍、、、

色々に変化していく雲、、、

それらを水の中から、
眺めているのが好きでした。。。

それはきっと、
水の中に潜る事で、
外部の音を遮断し、
周りの景色もヒトも遮断し、
自分だけの空間を確立出来たからだと
思います。

聴こえるのは、
水の音と自身の中の音だけです。

それをBGMに空の移りゆく様を
水の揺らぎというエッセンスを沿えて愉しむ。

とても贅沢な時間でした。

私は【独り】が好きです。

私は【独りじゃない】のも好きです。

私は【集団】は苦手です。

私は【集合】は好きです。

そこにどんな違いが在るのかも、
自分自身は知っています。

なので、
どうであっても自分として居ます。

自身のスタンスは変わりません。

そう。

いつでも水の中に居る感覚で
居られます。

求めているモノコトヒトだけに
意識を向ける事。。。

必要なモノコトヒトだけに
集中する事。。。

感じ観たいモノコトヒトだけに
エネルギーを注ぐ事。。。

他の【ノイズ】を最小限に抑えます。

本当の水の中に居る程に、
【ノイズ】を消し去る事はあえてしません。

それでは観えるモノも観えなくなるからです。

そう。

水の揺らぎというエッセンスの役割です。

『外れて観るには』

自身がそこに在るのだという事を
忘れない事。

自身も生きているのだと
覚えている事。

自身の肉体を感じ観る事。

自分の中の音を聴き逃さない事。

自身の【ノイズ】も大切にする事。

そうする事で、
その場から外れながらも、
その場を愉しむ事が出来ます。

『外れて観るには』

ぜひ、体感して観てくださいね。

よろしくお願いします!

 

 

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4 Responses to “外れて観るには”

  1. 通り雨 より:

    いまこそ、自分から外れたい。

    誰にも話せない
    怒りを感じている自分から外れたいです。

    自分が真剣に向きあっている
    モノ コト ヒトを邪魔されているような

    自分の向かいたい行く手を
    阻まれているような

    わたしの人生を壊そうとしてる
    ようにも思え

    怒りしかない今から
    外れたいから
    あえて、ふなっしーになるなっしー
    ヘ(≧▽≦ヘ)♪

  2. 通り雨 より:

    人を観て自分を観て想う。

    自分の世界は持つけれど、
    自分の世界の中だけで自己完結してしまう生き方は嫌だ。

    もっと 自分の世界を持ちながらも
    外のヒトモノコトを感じたいです。
    自分の世界感を豊かにしたい。

    やっぱり 共感もしたいな。

    今後の人生に一度でもそれが
    あればしあわせだ。

    支離滅裂 で すみません。

  3. 通り雨 より:

    悲劇のヒロインの世界にまだ染まっていたい自分がいました。

    悲劇のヒロインが自身の中に居るのはOKだけど

    自分がどれだけ悲劇かという
    不毛なアピールを 人に
    またしてしまい 大後悔中です。

    心から想う。
    記事のとおりに外れて自分を観たい。

    悲劇ヒロインのアピールをするくらいなら
    ふなっしーになっておきたいものです。

    • うえる より:

      通り雨さん、こんばんは。
      色々な思いや想いを持った自分が
      たくさん現れましたね^^
      別に大後悔しなくても大丈夫ですよ。
      気付ける様になる事が大切ですから^^

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