生々しさを避けてはいないか?

芽出し

 

 

 

 

 

 

本日も読みに来てくださり、ありがとうございます。

前回は、『伝承していくべき事』というお話でした。
今回は、『生々しさを避けてはいないか?』という
お話です。

『生々しい』。。。

こう聞いて思うのは、
どんなイメージでしょう。。。

痛々しい、、、

苦々しい、、、

エグイ、、、

グロい、、、

血なまぐさい、、、

なんとなく、
そんな様なシーンやイメージを
してしまうヒトが多いのでは
ないでしょうか。。。

自分の中に在る、
エゲツなさや暴力的な部分、、、

残虐性や残酷な部分、、、

冷たさや薄情に感じるトコロ、、、

などなど、
自身でも目を伏せたくなったり、
無関心になりたい部分かもしれません。

そんなトコロは微塵も無い、
『清廉潔白』で『誠実』で、
『聡明』な存在で居たいと
望んでいるかもしれません。

穢れなく汚れを知らないままの
自分で居たいのかもしれません。。。

産まれたての赤ちゃんの如く、
無垢なる存在で居たいのかも
しれません。。。

純真で真っ直ぐで、
真っ正直に生きたいと
願っているのかもしれません。。。

だからこそ、
自身の『黒い部分』は観ようとせず、
他の『黒い部分』も観ようとせず、
深い洞察力や思慮もせず、
表面的な『楽しさ』と、
あつらえた様な『仲良し』、、、

他に干渉するのは良くないとか、
空気を読むのが大切だとか、
全てを包んであげるコトが重要とか、
まるで、表面だけを着飾る
『メッキ』の様な関係性。。。

剥がれない様に、
傷つけない様に、
あまり近づきすぎない様にと、
過保護に牽制し合う関係性、、、

そんなトコロに、
本当の『リアル』は
存在しているのでしょうか。。。

『生々しさを避けてはいないか?』

そう、自身に問うた時、
あなたはどう応えられるのでしょう。。。

自身を向き合うコト、、、

自分をみつける事、、、

自分を認め赦す事、、、

頭でわかっていても、
腑に落とし込んでいるヒトは
どれくらい居るのでしょう。。。

『生々しく生きる』からこそ、
痛みが在り、苦しみや悲しみも在ります。

だからこその喜びや嬉しさ、
愉しみや楽しみが在ります。

『五感』をフルに活用し、
『喜怒哀楽』すべての感情を使い、
肉体も精神も魂も、
精一杯に活かす事。

それこそが『生々しさ』なのだと
感じます。

『生々しさを避けてはいないか?』

今一度、自身に問うてみては
どうでしょうか。。。

意識して観てくださいね。

よろしくお願いします!

 

 

 

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2 Responses to “生々しさを避けてはいないか?”

  1. 通り雨 より:

    紙に思いをぶつけたのを読み返したとき、
    生々しい言葉達に疲弊してる自分を感じ、
    自分はいま、
    なにも求めず 比べず 評価せず
    あるがままに 無機質に
    自分自身の心の平安だけを目標に粛々と日常をこなし
    生きていきたいと思うようになりました。

    生々しく生きるにも
    向き不向きがあるのかもしれません…

    • うえる より:

      通り雨さん、こんにちは。
      生々しい言葉たちに疲弊したのですね。
      あるがままに無機質に、、、
      在るがままだと有機質なので、
      無機質では居られません。
      無機質な自分をつくり出すには、
      有機質の自分も必要です。
      ぶつけた言葉が在るという事は、
      しっかりと有機質の自分が居るという事です。
      お互いでお互いのバランスを取り合うといいですね。

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