謝罪という行為は意味を成さない

一方通行

 

 

 

 

 

 

本日も読みに来てくださり、ありがとうございます。

前回は、『自分ゴトをヒトに任せない』というお話でした。
今回は、『謝罪という行為は意味を成さない』という
お話です。

またまた、この画像が出て来ました。

何度も読みに来てくださっている方には、
おなじみのこの画像。

はじめてお越しの方も居られるかもなので、
説明すると、自分の発信する思いや想い、
感情や思考は、すべてが『一方通行』でしかない!
という事を書いた時に使いました。

どうであれ、自らが起こすアクションだろうと、
目に見えるモノコトであろうと、
目に見えないモノコトであろうと、
すべては自分からの『一方通行』でしかありません。

もちろん、自分だけではなく、
誰もが自身の『一方通行』を放っています。

それぞれがそれぞれの『思いや想い』、
『習慣や慣習』、『当たり前や常識』、
『ふつうや一般的』などなど、
自分のモノを持っています。

誰もが自分の『それら』を正しいと思っているし、
『それら』が事実だとも思っていたりもします。。。

なので、両方ともに自身のモノコトが、
いかに『正当』かを主張するし、
対象が『間違っている』事を証明する為に、
時間もエネルギーも費やします。。。

その時点で、『勝負』になってしまうので、
『善悪』が生まれます。

勝った方が『善』になり、
負けた方が『悪』になります。

『悪』にされてしまった方は、
『罪』を背負わされるので、
『善』に対して謝らなければいけなくなります。

『謝罪』は罪を謝らせると書きます。

『罪』は何かしらのモノコトに対して、
成立します。

事実として、誰もが明らかに観て分かる様な
『罪』であれば、『謝罪』という行為ではなく、
『償う』事が必要です。

ただし、ここにも『一方通行』が現れるので、
自身の勝手な『思い込み』や『決めつけ』では
『償う』事にはなりません。

『謝罪という行為は意味を成さない』

『謝罪』という行為は、『入口』でしかありません。

『入口』、、、

つまりは『始まり』であって、
その先に在るモノコトが大切になります。

つまりは、『謝罪』をするにも、
その先を見越して、
その行為や言動をする事が必要になります。

であれば、
『謝罪』をしないといけない様なモノコトを
起こす時点で、意識する事が大切です。

『謝罪という行為は意味を成さない』

意識して観てくださいね。

よろしくお願いします!

 

 

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