本日も読みに来てくださり、ありがとうございます。
前回は、『価値を交換するという事』というお話でした。
今回は、『自分で在るというコト』というお話です。
『自分』という存在は、『自分』以外どこにも存在しません。
ものすごく当たり前と言えば当たり前の話です。
しかし、、、
そんな『自分自身』が分からないと思っているヒトや、
『自分』の事がキライなヒトや、
『自己犠牲』や『依存』によって、
自らを見失っているヒトも居ます。
中には、『自分探し』をする為に、
方々へと出かけているヒトも居ます。
これらが、別に悪いと言っている訳ではありません。。。
自分自身が自分で、その状他を分かっているのであれば、
それは一時的な『止まり木』であり、『停留所』になります。
やがて、時が来れば、
自分の中にエネルギーが充電されれば、
自らのチカラで、自らの足で立ち上がり
進んでいく事が出来ます。
そうなれずに、その場所、そのヒト、そのモノコトに、
『依存』し『執着』しているのなら、
そこにはすでに『自分自身』は存在していません。
『自分で在るというコト』
それは、自らの意思で、自らの思いや想いで、
自らの足で立ち、どうであれ進んでいる事です。
さらに極端に書けば、
もがき苦しんでいても、痛みや辛さに耐えていても、
現状があまりにも理不尽で不当な扱いであっても、
自らを偽らず、自らを誤魔化す事無く、
自らが自らを理解し向き合い聴き感じて、
自らを励まし包み込み、癒し休む時に休み、
耐え忍んでいる事や我慢しているのだという事を
しっかりと感じ観てあげるコトです。
『自分で在るというコト』
どんな環境や状況、状態で在っても、
「自分が自分として生きる」
その信念を持っている事です。
その『信念』は誰にも許可をもらう必要もなければ、
誰かにとやかく言われるモノでもありません。
自らが自らで決意している!
ただ、それだけです。
意識して観てくださいね。
間違えてはいけないのが、『頑固』になり、
他者の思いや想いを無視して『融通が利かない』
というコトになる事ではありません。
よろしくお願いします!
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