自らの愛の定義を見直す

あかちゃん

 

 

 

 

 

 

本日も読みに来てくださり、ありがとうございます。

前回は、『自分事に考える』というお話でした。
今回は、『自らの愛の定義を見直す』というお話です。

ヒトは、産まれたばかりでは何も自分でする事は出来ません。

唯一の表現法は『泣く』コトです。

お腹が空けば泣き、眠くなれば泣き、不安になれば泣いて
表現します。

産まれる前は、母親のお腹の中で包まれて守られています。

四六時中、体温も心音も感じる事が出来ます。

へその緒から栄養や血液も流れ込み、母親と共有している
時間がたっぷりと在りました。

産まれ出た途端から、体温も心音も包まれる安心も、
流れ込んでいた栄養も何もかもから離されます。

だからこそ、『泣く』という表現法と身体を動かす事で、
自らをアピールし、母親の意識をつかもうとしています。

時間が経つにつれ、母親だけでなく家族や親類、
周りのヒト達にも、『自分』を認識してもらえる様になります。

その過程で、自らも『自分』を認識します。

このプロセスの中で育まれるのが、『愛情』です。

この期間に充分に親や周りに大切に扱われ、
愛を一身に受け取ってきたヒトは、
とても『愛情深く』なります。

ただし、ヒトによっては自らの『愛』に対する『定義』が、
『愛されている事』とか『愛される存在』という様な風に
なってしまうヒトも居ます。

そうなると、自分が『愛されている』事が当たり前になり、
ヒトを愛するよりも『愛して欲しい』という欲求が
大きくなってしまう場合もあります。

そんな状態になると、『独占欲』や『支配欲求』など、
自分の事が何よりも最優先になります。

視点も視野も、思考も、全てが『自己』が『中心』になり、
自身を『正当化』するコトや、『守る』事に必死になります。

これでは、『両方向の愛』にはなりません。

本来の『愛』は、バランスの取れた『循環』です。

どこにも滞りが無く、お互いがお互いを敬い気遣い、
思い遣りを持って接する事で、スムーズな『受け渡し』が
出来ている状態です。

そんな状態になっていない、またはいなかったと感じるなら、

『自らの愛の定義を見直す』

事が必要かと思います。

自らの記憶や経験、刻まれている感覚などを、
今一度振り返り、客観的に検証する必要があります。

自分が正しいと思っていた『愛の定義』は、
もしかすると『独りよがり』な偏ったモノかもしれません。

『自らの愛の定義を見直す』

意識して観てくださいね。

よろしくお願いします。

有難うございますm(__)m

 

 

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