安心領域を造り過ぎない

カギ

 

 

 

 

 

 

 

本日も読みに来てくださり、ありがとうございます。

前回は、『自らが動き観るチカラ』というお話でした。
今回は、『安心領域を造り過ぎない』というお話です。

昨日、講師のお仕事だったのですが、
お昼時間に入ったお店に、少し前に流行っていた
『進撃の巨人』の漫画一巻目がありました。

始まりのシーンで、人々は高い高い塀に囲まれた中で
暮らしているという設定でした。

理由は、巨人族が現れて襲われ、人々が食べられてしまい
襲われない様にする為に、巨人族が入って来れない、
飛び越えるのも不可能な程の頑丈な塀を造って囲んだ中で
暮らすという選択をしてから、はや何年。。。

塀のおかげで平和が戻り、いつしか巨人からの恐怖を
ほとんどのヒトが忘れかけていました。。。

そんな時、突如塀を楽々と越える巨人が現れて、
塀伝いに覗き込んだと思ったら、思いっきり塀を蹴り上げて
でっかい穴を開けて、元々のサイズの巨人族が穴から侵入し
次々に襲いかかるという内容でした。。。

その急襲から時は流れて。。。と展開していく様です。

この漫画を読んでいて思ったのが、
『ヒトは慣れてしまう生き物』だという事。。。

どれだけの『恐怖』や『不安』、『失敗』や『教訓』を得ても、
その後に何も起きない平和な時間を過ごしていると、
その平和な時間に慣れてしまって、『その時』の事を
自身の中で『風化』させてしまう生き物だという事を
感じました。

家のセキュリティーとして、ドアにカギが付いています。

最近のドアには、カギが2か所付いていたり、
ホテルやマンションのドアの様に、ドアチェーンも
付いていたりします。

家の周りを塀で囲み、塀の入り口にも『施錠』する家や、
セキュリティー会社と契約し、センサーやカメラを付けている
家もあります。

何もしていない家よりは、とても『安心・安全』な状態に
感じます。。。

それだけの『安心領域』を造って中に居れば、
何が起きても大丈夫な様な気にもなります。。。

その環境に慣れれば慣れる程、『驕り』や『慢心』が生まれます。

その状態が『当たり前』で『普通』で『常識』で在るかの様に
『錯覚』や『思い込み』を持ってしまいます。

『驕り』や『慢心』が油断を生み、『自惚れ』や『横暴』を生みます。

『驕り』や『慢心』から油断する事で、空き巣に入られたり、
『自惚れ』や『横暴』によって、周りから敬遠されたりします。

『安心領域を造り過ぎない』

造り過ぎる事で、『安心領域』の外が見えなくなってしまい、
内側の世界だけが全てになってしまいます。

造り過ぎる事で、外部との交流が出来なくなり、
周りに対して『猜疑心』を持つようになったりもします。

『安心領域を造り過ぎない』

意識して観てくださいね。

よろしくお願いします。

有難うございますm(__)m

 

 

 スポンサードリンク

関連記事

 

コメントを残す

サブコンテンツ

▲ このページの先頭へ